烏山・西蓮寺にある「學園之墓」

「故佐々木周二先生 ご逝去から早10年」に思うこと。

平成23年4月26日朝、「本日早朝、父が亡くなりました」とご長男の故徳行(やすゆき)様より、学校代表電話にかかった第一報を取ったのは偶然か、先生が呼んでくださったのか、校内転籍間もない私だった。

あれから早や10年。まさか現在世界が100年に一度の災禍の中とは、さすがの先生もおはかり知ることはなかったはずである。

だがしかし、もしかすると博識・博学の先生だったので、予感はおありだったかもしれない。
というのは、先生が5歳か6歳のころ「スペイン風邪」が世界を襲っているから、朧気ながらもご記憶があり、「歴史は繰り返す」と予想していらしたかもしれない。

そして時は新型コロナ感染症による第三次緊急事態宣言下ではあるものの、首都圏中等学校教育機関最多の在籍数を誇る母校久我山は先生の教えを胸に、様々な感染症対策の中、保護者・生徒、学校法人國學院大學傘下全教職員他、学園に関わる全ての方々のご協力・ご支援の下、短縮授業、部活動制限はあるものの学園生活は展開されている。

この災禍においてもこのマンモス校が何とかここまで大過なくということは、きっといつもどこかで、先生が見守ってくださっているから、と5月の声を聞いても朝晩の寒さが身に染みる中、改めて感じている。

[報告:母校庶務/久我山会事務局・宮村千春(29期)]

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